犬の都・トビリシ/猫の都・イスタンブール🗺境界に生きる街のものがたり

By Mana takita

    イスタンブールを歩いていると、必ず猫に出会う。
    トビリシを歩いていると、必ず犬が横たわっている。

    どちらも「多い」というより、そこにいるのが当たり前という存在感を放つ。
    人間の生活圏に、無理なく溶け込んでいる。

    この違いは、単なる偶然ではない。
    土地の歴史、宗教観、そして国の立ち位置そのものを、静かに映していた。


    イスタンブールは「猫の都」

    イスタンブールは、猫が主役の都市だ。
    港、路地、モスクの中庭、カフェの椅子の下。どこにでも猫がいて、誰も追い払わない。

    これはトルコの文化的背景と深く結びついている。

    イスラム文化圏では、猫は「清浄な動物」とされてきた🐈‍⬛
    預言者ムハンマドが猫を大切にしていた逸話も広く知られている。
    そのため、猫は宗教的にも日常的にも、保護される存在として扱われてきた。

    加えて、オスマン帝国時代の都市構造も影響している。
    港町として栄えたイスタンブールでは、穀物倉庫や船をネズミから守るため、猫は欠かせない存在だった🐀

    猫は自由で、個で生き、媚びない。
    それでも人のそばにいる。

    イスタンブールという街自体が、地球上の地理的に東でも西でもあり、宗教も文化も折り重なった「境界の都市」だ。
    猫との距離感は、そのままこの街の性格のようにも感じられた🐈


    トビリシは「犬の都」

    一方、トビリシは圧倒的に犬だ。

    しかも「かわいがられている野良犬」ではない。
    耳にワクチン済みを示すタグをつけ、健康管理され、街に受け入れられている犬たち。

    ジョージアでは長年、自治体によるTNR(捕獲・不妊去勢・返還)が行われてきた。結果として、
    ・無秩序に増えない
    ・人に慣れている
    ・攻撃性が低い
    という状態が保たれている。

    ここで重要なのは、「排除」でも「囲い込み」でもないという点だ。

    犬たちは管理されつつも、彼ららしく自由に生活している。

    この在り方は、ジョージアという国の立ち位置とよく似ている。


    コーカサスという境界国家

    ジョージアは、東ヨーロッパと西アジアの境界、コーカサス地方に位置する。歴史的には、
    ・ペルシャ
    ・オスマン帝国
    ・ロシア帝国
    ・ソ連
    と、常に大国の狭間で揺らいできた。

    宗教はジョージア正教。
    イスラム圏でもなく、完全な西欧でもない。常に「どちらにも属しきれない」場所だった。

    だからこそ、この国には
    強すぎない管理
    弱すぎない自由
    という独特のバランス感覚があるような気がした。

    トビリシの犬たちは、人に依存しすぎない。かといって人を恐れてもいない。

    それはこの国が長い時間をかけて身につけてきた
    「生き延びるための距離感」そのものなのだと悟った。


    猫と犬が語る、都市の哲学

    猫のイスタンブールは、
    個が尊重され、混沌を許容する都市。

    犬のトビリシは、
    共同体の中で役割を持ちながら、自由を保つ都市。

    どちらが良い、悪いではない。

    ただ、動物の扱われ方を見ると、
    その土地が
    ・何を守ってきたのか
    ・何を恐れてきたのか
    ・どうやって他者と共存してきたのか
    が、不思議なくらい伝わってくる。


    旅人として気づいたこと

    イスタンブールでは、猫が「この街の主」だと感じた。
    トビリシでは、犬が「この街の一員」だと感じた。

    どちらも、人間が一番偉いわけではない。

    動物が安心して存在できる都市は、
    人間にとっても、どこか息がしやすい。

    「犬の都」「猫の都」という呼び名は、観光的な表現ではなく、
    その土地が長い時間をかけて選び取ってきた生き方の結果だった。

    そして、そんな街に惹かれて何度も戻ってきてしまう自分も、
    きっとその価値観に、静かに共鳴しているらしい✈️

    最後まで読んでいただきありがとうございます😊