「なんであの人は、自分が100%正しいと思えるんだろう。」
SNSで誰かが炎上する。
コメント欄では、
「絶対に許せない」
「いや、それは言い過ぎ」
「どっちも悪い」
同じ出来事なのに、意見は真っ二つに分かれる。
職場でも、恋愛でも、家族でも同じ。
誰もが、自分なりの「正しさ」を持っている。
では、そもそも正義とは何なのだろう。
そしてなぜ人は、自分を正しいと思うのだろう。
正義は最も危険な言葉かもしれない⚠️
興味深いことに、歴史上の大虐殺や戦争は、
「悪のため」に行われたことは少ない。
むしろ逆だ。
多くの場合、『正義のため』に行われている。
・宗教戦争
・革命
・民族浄化
・植民地支配
・粛清
それを行った側は、自分たちを悪だなんて思っていなかった。
むしろ、世界を良くするためだと真っ直ぐに信じていた。
哲学者の Friedrich Nietzsche は、
→人間は自分を悪だとは考えない と指摘している。
つまり、
正義ほど人を動かすものはない。
そして正義ほど危険なものもない。
正義は国ごとに違う🌏
例えば、
「個人」を重視する社会と、
「集団」を重視する社会では、
正義の定義が変わる。
西洋型の正義🇪🇺
主に欧米社会では、個人の自由が重視される。
・言論の自由
・自己決定権
・個人の権利
🟰正義とは、個人を守ること。
東アジア型の正義🍣
一方日本や中国、韓国などでは、
歴史的に集団の調和が重視されてきた。
・空気を読む
・和を乱さない
・共同体を守る
個人の自由より、
社会全体の安定を優先する傾向がある。
つまり同じ出来事でも、国によって
「何が正しいか」が変わり得る。
勝者が正義を決めるのは本当か🏴☠️
歴史を振り返れば、ある意味では本当だ。
なぜなら、
歴史は基本的に記録されたものだから。
例えば戦争。
勝った側の教科書と、
負けた側の教科書では、
同じ出来事でも見え方が正反対に違う。
⚫︎歴史学ではこれを「歴史叙述」と表現する。
🟰勝者は物語を作れる。
しかし、ここで重要な点がある。
勝者が歴史を書けても、真実そのものを変えられるわけではない。
例えばかつて正義とされた制度が、後世では批判されることもある。
・奴隷制度
・植民地主義
・魔女狩り
・人種隔離政策
当時にしてみれば確かな正義だった。
しかし今ではそう見られない。
つまり、
勝者は歴史を支配できたとしても、
未来の評価までは支配する事ができない。
正義の反対は「悪」ではない
哲学的な観点では、
正義の反対を『悪』とするのはあまりにも単純すぎる。
でも現実はもっと複雑。
自由を守りたい人。
安全を守りたい人。
平等を守りたい人。
努力した人を評価したい人。
どれも正義だ。
だから衝突する。
世の中は、善と悪の戦いよりも、
正義と正義のぶつかり合いで成り立っている。
悪者にも正義はあるのか
歴史的には、ほぼ確実にある。
どんな独裁者も、
どんな革命家も、
どんな犯罪組織も、
自分なりの正当化を持つ。
心理学者の Jonathan Haidt は、
人間はまず結論を出し、その後で理由を作ると説明している。
つまり、人は
「私は正しい」という感覚を持った後に、理屈を組み立てる。
だからこそ、
悪人の視点では自分がヒーローになりやすい。
なぜ人類は正義で争うのか
不思議なことに、人類は利益だけでは動かない。
むしろ、利益よりも『正義』によって戦いに駆り出される事が多いのではないだろうか。
脳科学的に見ると、
正義感は社会を維持するための機能だった。
集団のルールを破る人を許すと、共同体が崩壊してしまう。
だから人間は、
不公平を見ると怒るよう進化した。
つまり正義感そのものは、
→人類が協力して生きるための装置だった。
しかし現代では、その装置が巨大化している。
SNSでは毎日、
誰かの正義と誰かの正義が衝突する。
そして問題なのは、
人間の脳は自分の矛盾には驚くほど鈍感だ。
でも、他人の矛盾にはすぐ気づく。
だから議論になると、
「相手がおかしい」とは思えても、
「自分が間違っているかもしれない」
とは考えにくい。
これは意志の弱さではなく、脳の性質でもある。
哲学者たちは何を考えたのか
⚫︎Plato
正義とは:それぞれが本来の役割を果たす状態。
⚫︎Aristotle
正義と適切なものを適切に分配すること。
⚫︎Immanuel Kant
正義とは:誰にでも普遍的に適用できるルール。
⚫︎Friedrich Nietzsche
正義とは:絶対ではない。
強者と弱者の価値観によって変化する。
数千年経った今でも、哲学者たちは完全な答えに到達していない。
では本物の正義は存在するのか
これは今も哲学最大級の問いの一つだ。
絶対的な正義があるという考え方もある。
一方で、正義は文化や時代によって変わるという考え方もある。
おそらく確実なのは、
人間は誰も完全な視点を持てない
ということ。
だからこそ、
自分の正義を疑う力が重要になる。
最後に
「正義とは何か?」という問いは、実は
「自分は何を守りたいのか?」という問いでもある。
自由を守りたい人。
秩序を守りたい人。
平等を守りたい人。
伝統を守りたい人。
それぞれに正義がある。
だから歴史は、善と悪の戦いというより、
多くの場合『正義と正義の衝突』だった。
もしかすると、本当に危険なのは悪人ではない。
「私は絶対に正しい」と疑わなくなった人なのかもしれない。
「自分だけが完全に正しい」
と信じ始めた瞬間、人は最も残酷になれる。
正義とは、
誰かを裁くために振りかざす剣ではない。
自分の思い込みを映し出す鏡でもある。
その鏡を時々のぞき込み、
「別の見方もあるかもしれない」
そう考えられる人ほど、
本当の意味で強いのではないだろうか。
