ハワイ大学院留学の夢、破れる

By Mana takita

フルライド奨学金プログラム

18歳からお慕いしているメンターから紹介された奨学金プログラムは、フルライド(授業料全額免除)の大学院に2年間通える最高条件だった。寮代と食費補助も込み。この上ないほどありがたいプログラムだったが、希望学部に行けなかったため学習内容は想像と異なっていた。

予想外の転機

2021年8月に学校がスタートし、最初の半年は理解のあるアドバイザー(教授)がついてくれていたので、論文の内容や進捗もそこまで問題なかった。期待していた評価も得られた。しかしセメスターが終了して年末年始の後、アドバイザーが突然音信不通となり、日本の大学に転勤されたと3カ月後くらいに風のうわさで伝えられた。彼は長い間日本で教授をしたくて、ビザの承認をコロナ禍で待ち続けていたらしい。

学外での新たな挑戦

2022年1月ころから学外でインターンシップを始めた。授業代その他もろもろのサポートはあっても、ハワイの物価が目玉が出るほど高いのでお金が必要だった。J1ビザは研究内容に適していれば学外での就労を許される。奨学金センター(大学院学部とは別)は私の目的や言動に理解があって、インターンシップを快く承諾してくれた。このころからすでに、本業であるはずの勉学よりも学外での実務経験が楽しくなっていた。

学部との衝突

私の当時のルーティンは、授業に出席し最低限の課題を済ませ、仕事に向かう日々。学部側は学外での活動や人脈を広げ続けることにやや難色を示していたが、そんなことは気にする暇もないくらい忙しかった。学部の教授は、勉学一筋で、授業が終わったら積極的に個人的質問をする学生を好んでいるのが分かった。そこまで興味が強くなかった講義に対しては、失礼ながら質問すら思いつかなかった。インターンシップや奨学金のため、お世話になっていた沖縄コミュニティでのボランティアを続けていて自分が必要とされている、承認されていると感じることで自尊心を満たしていた。

2022年春先ごろ、突然学部長から一斉メールが届き、転勤された教授の生徒だった学生は至急連絡が欲しいということだった。夏から大学に新しく赴任したアドバイザーがついたが、特に私の興味のある分野を教えているわけでもなく、コロナ禍だったこともあり一度も対面で会ったことがない。zoomで数回話した程度の距離感だった。本来であればこの時点で卒論テーマを決めなければいけなかったが、受講する講義自体も(存在しない)アドバイザーに相談せず自身で決めていたので、全くをもって何がしたいのか、何を研究しているのかわからない状況であった。

そもそも、知識に関して私は浅く広く見解を広めたいという傾向がある。その私にとって、ニッチな分野を見つけて興味を掘り深めるという次元には、2年たった今でも及んでいないと感じる。

卒業の壁

秋ごろになり、学部長が卒論について話をしてくれた。私が学習していたのは東アジアの社会情勢で、学部長との意見が水と油くらい合わなかった。日本人としての私が教えられた常識と、彼女の出身国での見解は全くをもって正反対だったからだ。そのため、卒論テーマとして提案した論文も 「参考にならない」 と批判され続け、彼女の推薦する論文ばかりを扱うことになった。結局、興味がそそられる内容では当然なく、また彼女の評価も厳しいことが目に見えていた。一点お伝えしたいのは、私がここに記している際彼女を直接批判しているのではなく、お互いが受けた母国での教育や、生を受けた世代間の大きな違いによる食い違いの深刻さを表現したかったのだ。

私の落ち度

ここまで相手側のネガティブな点ばかり書いてしまったが、私にも落ち度が数えきれないほどあった。まず、アドバイザーと連絡が取れない時点ですぐに相談すべきだった。その間、私はインターンシップやボランティア活動先で自分の居場所を作っていた。また、夢のハワイ生活のすべてを与えられた状況で 「不満を言ってはいけないのでは」 という非論理的な謙虚さを持っていた。問題は問題として素直に受け止め、ただちに解決しない限り、お世話になった人、期待してくれた人々を失望させてしまうことを痛感した。

また、元々入学できたのが希望学部でなかったのだから、時間がかかったとしても転学を考えたり、本当に深く学びたいトピックが見つかるまで休学してもよかったのかもしれない。

強制帰国、そして失意の底へ

結局、2022年12月末に学部長より卒論テーマも卒業も認められないと告げられ、2023年1月に急遽日本への帰国を余儀なくされた。続けていたインターンシップでもわずかながらクレジットを得られる予定だったが、先方が評価を忘れていて、ただ評価をしたところで学部側の決断和変わらないと宣告された。

沖縄県費、アメリカ政府の資金をもらってまで送っていた学生生活を私の一存で、すべて水の泡にしてしまった。この時の失望感は感情が持てないほど大きく、例えれば気道が限界まで狭くなったような状態だった。

帰国数日前に、タイミングよくお世話になっていた沖縄コミュニティーとの集会があった。まるで親族のように面倒を見てくれた人たちの前で声を大にして事実を伝えるときには、人生で一番涙をこらえた瞬間だったと今でもはっきりと覚えている。涙を見せられなかったのは、今回の出来事でこの関係性が終わりだと思いたくなかったからだ。

帰国後は人生をどうしようかと考えながらホテルで過ごし、飲み歩き、お金が無くなったので持っていた宝石をすべて売った。沖縄に一時的に帰り、行く先々で頭を下げ、どうしてこうなってしまったのかと報告文書を作成した。私の先天的な悪い癖で、自身の弱い部分や不完全な部分を公に見せたくないというエゴがある。いつでも笑顔で、問題など抱えていないようなそぶりをしていたいし、そう見られたい。大好きな人たちに心配をかけたり、不完全な存在だと思われたくなかったからだ。

ただ、実際に起こっている問題と自身の言動の間に生まれたひずみは深くなり続け、取り返しのつかないことを実際に起こしてしまった。この時初めて、ピンチの時は声を上げて助けを求めなければ問題から脱却できないこと、強がったとしても後にもっと深く自身も周囲も傷つけるのだと学んだ。

しんみりしてしまったので、黒ギャル時代の写真を。。失礼します💦

立ち直るために

それでも、本プログラムを紹介してくれたメンターは私を見捨てず、私の帰国日と合わせて東京まで飛んできてくれて、ホテルまで用意してくれた。沖縄にすぐ帰る気にはなれず、通訳の仕事や、メンターが与えてくれたフリーランスの仕事をこなしていたが、東京での生活には十分なお金ではなかった。両親にも近しい人にも相当な心配をかけ、迷惑をかけた。

それでも、ハワイでお世話してくれていた麗しお姉さんやインターナショナルなセクシーお姉さんにも勇気づけられ、少しずつ自身の挑戦心を取り戻し続けた。また、同年3月にはボランティア活動を通したイベントの仕事をいただいていたので、再度ハワイにESTA(観光ビザ)で戻った。※ちなみに2023年3月の仕事はJTBさんから頂きました😊アメリカ側からは無償です!※

あっという間の10日間で、後ろ髪をひかれる思いで東京の生活に戻った。

東京では、お姉さんがたに加えて大学同期のシーサー顔の親友がかなり気にかけてくれて救われた。

未来への決意

海外に出ること非日常で楽しそうに見えるかもしれないが、それは必ず影があるから輝いて見える。影をなくするのではなく、影への対処方法、挽回方法次第で、自分のパッションや移住した目的、そして異国での自尊心を強く保つことができるのだとわかった。

今回は少々ヘビーな、親しい友人以外には伝えてこなかった私の事実。大学院を退学し、多額の奨学金を全くの無駄にしてしまった。だからこそ、日本とハワイ現地で今でも私を信じ続けてくれる人を安心させたいし、お金ができたら同プログラムの寄贈者になりたいと考えている。そして、ここドバイに来た理由も、自身で生み出すことができるお金を増やすための計画の一部である。

TO BE CONTINUED…

最後までお読みいただきありがとうございます。記事に対する温かいメッセージが励みになっています😊

MANAT

インスタグラム:__mana.lulu

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